2011年10月2日日曜日

ボランティア(岩手県宮古市河南中学校)

 何が 私を駆り立て 東北に向かわせるのか わかりません。
 震災当初は、食を持って 人々に温かい思いを抱いてもらいたかった。そんな大変な事を経験した事はないけど、寒い時に温かい物を提供したかった。それは 出遅れて 出来なかったんだけど。。。。

 今回は築地で被災地を支援するチーム Tsukiji Women のバザーに同行させてもらいました。新品の食器類を集め、築地に来るトラックの帰りに荷を乗せて、現地で無料バザーをする活動を続けている団体です。
 私は120個のパウンドケーキを焼いて、バザーに来た方に配る事になりました。(要請があり、コックコート持参です。)
 
 私の他の方々は、盛岡で前泊し、朝バスで宮古に入り、私は店を20時に閉めてから 品川発の夜行バスで、朝7時に宮古駅に着きました。

 8時頃 宮古のスタッフが迎えに来てくれ、魚市場に連れて行ってくれました。鰯とか、どんことか安くて うらやましい。野菜は宮古産の物が多く、農家の方が売れるブースもあり、いい市場だなと思いました。魚は買い控えましたが、ヒラタケ¥200は 買ってしまいました。

 その後 港の方に車を回してくれ、あり得ない風景をたくさん見ました。(画像はありません)
*土台だけの町並み
*1階に木を打った市庁舎
*2、3階のガラスが割れた建物、、、、
*ガソリンスタンドの天井がねじ曲げ、どこに水が乗ってこうなったの???というあり得ない曲がり方

 案内をしてくださった方も1階が浸水し、帰宅も出来ず、3月11日は大変な思いをしたそうです。
 他の人も話すとウルッとしちゃってね、という人もいて、ご家族は、、などとても聞けませんでした。

 あったはずの家屋の土台もたくさん見ました。がれきというか、鉄のゴミが積み上げてある空き地もありました。バザーをした河南中学校は高台でした。(この辺では 高い所に学校を作るそうです。)
 すでに 何度も被災地で 食器を提供し 今回は本当に小規模でとおっしゃる大森さんですが、いやいや 広げると結構あります。体育館の半分位を使い L字に品物を並べます。

 私たち 8時半頃に着いたのですが、既に並んでいる人がいて、びっくりです。

 並んでいる人々にも考慮したのですが、結局 時間を早める事なく 11時に始めました。
 30人を10分、一人7品目と決め、順番に人を入れて行きます。数が少なくて争奪戦になっていたのは、長靴、灯油缶、ガスコンロ、土鍋、米 でした。。。。。
 最後の方は、たっぷりあったカイロ、タオル位しかなく 11時に来たのにと文句を言われる始末でした。大森さんも最短記録です。と言っていましたが、12時過ぎにはほんの少しの本とDVDが残っているだけでした。

 その朝、この秋一番の冷え込みで、私たちも重装備だったのですが、これから 寒くなるので、充分な物が用意できず 心が痛かったです。
 お菓子ですか?さらっともらって行く人、おやつにするよと笑うおばあちゃん、その場で食べ始める人 様々でした。

 片付けをして、もう一度魚市場に寄り、駅前で宮古のスタッフと別れ、宮古駅前で昼ご飯を食べ、14時のバスで盛岡に向かいました。
 バスは川沿いをずっと走るのですが、水底まで見える川で、それはそれは美しい風景でした。自然は美しく 残酷なのです。

 私が見た物はほんの一部ですが、半年が過ぎ、物や食べ物の支援ではなく、雇用や産業の支援が必要になって来たと思いました。とりあえず、東北の物を買い、消費し、東北に観光に行くですかね。

<写真は集合写真です。>